東宝の決意を感じる映画『シン・ゴジラ』の劇中音楽にはインパクトがある。担当したのは鷺巣詩郎。『ふしぎの海のナディア』『新世紀エヴァンゲリオン』でタッグを組んだ庵野秀明との相性の良さは『シン・ゴジラ』でも発揮された。本作のサウンドトラック『シン・ゴジラ 音楽集』は8月6日付のオリコンチャートでデイリー1位、8月15日付のウィークリーランキングで5位にランクインするという快挙を見せている。
「『ナディア』は今から四半世紀前。当時は携帯もなければメールもなくて、逆にいえば、頻繁に監督と会って話せる時間がありました。特に『ナディア』は関連仕事もふくめて3年以上も続きました。庵野監督との初めてのお仕事が、そういった時間をかけてお付き合いできる作品で本当に良かった。僕が幸せなのは、自分のキャリアにおいて、庵野監督の作品が中心にあることです」と振り返る鷺巣。
出典:シネマトゥデイ
本作のメインタイトルであり、本編で最初に流れる音楽でもある「Persecution of the masses (1172)/上陸」は巨大不明生物の恐ろしい異物としての存在感を引き立たせる。予告に使用された映画の顔とも言えるこの楽曲は“ゴジラ”というより、あくまで“巨大不明生物”の怖さを表現しているように感じられる。ゴジラが海に去り、日常に戻る東京を映すシーンで流れるモダンなジャズナンバー「Early morning from Tokyo」は自分ごと化されていない市民のリアルな空気感を醸し出す(サントラにはフルバージョンが収録されている)。中盤のクライマックス“タバ作戦”では楽観と緊張を行き来しながら無力さを表現し、「Defeat is no option (1197) / 進攻」では焦りを伝え、そして、ゴジラが東京を焼き払う「Who will know (24_bigslow)/悲劇」でまさに悲劇に突入していく。
「Who will know」はこの映画で最も印象的な楽曲だ。美しく、儚く、悲劇的で、このシーンにはこの曲しかないと思わせる。「もし私がこの世界からいなくなったら、誰が私のことを知るのだろう」という歌詞は、ゴジラの目線なのか、牧元教授の目線なのか、死者〇〇人の中の1人なのか。鑑賞後にいろいろと語りたくなってしまう『シン・ゴジラ』だが、音楽にも考察の余地があるのは楽しい。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』で『彼氏彼女の事情』の楽曲が、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』で『ふしぎの海のナディア』の楽曲が使用されたように、『シン・ゴジラ』でも過去の鷺巣楽曲が使用されている。お馴染みの「Decisive Battle」のアレンジ(EM20)は会議や準備のシーンにバッチリとハマっていておもしろい。『シン・ゴジラ 音楽集』のライナーノーツによると完コピして新たに録音されたものだという。6種類のアレンジで流れるこの楽曲は、巨災対の働きをクローズアップし、観客の感情を高めるのに一役買っている。霞ヶ関のはぐれもの、一匹狼、変わりもの、オタク…etcの登場をワクワクさせ、最高にカッコいい資料配布シーンを生み出し、終盤のクライマックスに向けて徐々にギターはテンションを上げ軽快になっていく。
「庵野総監督は、あらゆる反響を承知のうえでやってるわけです。名人の打つ手というのは、打った本人にしか確固たる理由はわかりません。そして何より、その一手で皆が痛快に感じること。それに尽きるんです。悪手と言われる手でも、状況次第では良い手に化ける。今回は、最高の一手だと思います」(鷺巣)
出典:シネマトゥデイ
ゴジラが東京を火の海にした後に流れる「SS_103_GZM (Famously)/報道2」も『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』からの流用だ。こちらも完コピ録音したものだという。オリジナル版「Famously」には朗読英詩が添えられている。
巨大不明生物、自衛隊、悲劇…現実的な緊張を表現した鷺巣に対し、伊福部昭は完全に“虚構”を表現する。本編、第三形態への進化で『ゴジラ』、鎌倉からの再上陸で『キングコング対ゴジラ』『メカゴジラの逆襲』、ヤシオリ作戦で『宇宙大戦争』を当時のモノラル音源のまま引用している。再上陸で流れるあの曲は、ゴジラをゴジラたらしめる(しかし『メカゴジラの逆襲』のメインタイトルであり、メカゴジラ=偽物…)。
一方、本作に「エヴァ」が与えた影響については、「もう少し普遍的な考えによるものでしょうね。庵野総監督がエンターテインメントを捉えるうえでの、尋常ではない大局観が働いたということでしょう」と否定。本作には、日本作曲界の巨匠である作曲家・伊福部昭氏が手掛けた『ゴジラ』シリーズの楽曲も使用されており、こちらは脚本段階で曲名まで指定されていたということから、庵野総監督のこだわりはむしろ、伊福部曲にあった可能性が高い。
その伊福部氏の楽曲について鷺巣は「音楽的に一言一句たりとも、決して変えない」という大前提のもと、気の遠くなるような作業でモノラルからのステレオ音源化に取り組んだ。最終的には庵野総監督の判断で、伊福部楽曲はオリジナルのモノラル音源を採用。しかし鷺巣は、「結果はどうあれ、一本の映画を作るのにとてつもない手間がかかるのは当たり前のこと。後から考えると大変な遠回りだったとは思うけど、遠回りしたからこそ得られた最上の結論でもあるんです」と涼しい顔でその苦労を述懐する。
出典:シネマトゥデイ
人それぞれ異なる解釈の仕方があると思うが、筆者の推測ではあまり聴き慣れていない、いわば手垢にまみれていないバージョンを本編に用いることで、シン・ゴジラの異形さをサブリミナルな領域で強調したかったのではないかということだ。事実、これまで語ってきたような過去作との関係性について深い読み込みがない状態でも、普段聞き慣れたバージョンと少し違うものが劇中に付けられることで「シン・ゴジラが、ゴジラであって、今までのゴジラとは違う」という印象を音楽上で見事に表現しているように筆者には感じられた。
鷺巣が再録し、サウンドトラックCDの完成直後にオリジナル音源を使うことになったという伊福部によるモノラル音源は劇中で明らかに異色であるが、それがゴジラ=虚構であり、ヤシオリ作戦では現実も虚構に突入していくことを表現している。往年のファンにしてみれば、特撮少年庵野秀明に自分を重ね、あるときはカタルシスさえ覚える最高の演出だ。一方、この演出はこれまでのシリーズを観てきたファンにしか通用しないだろう。音響には物足りなさが残る。
押井監督に言わせると、「『シン・ゴジラ』は仕上げが全然ダメ」なんだそうです。特に酷いのが”音響”で、「一番の見せ場で流れる音楽が全部、伊福部昭なのは有り得ない。その音源はモノラルしかないから、途端に音域が狭まって、スクリーンの前からしか音が聴こえて来なくなる」と鋭く指摘。
ただ、庵野総監督の判断でそれらのステレオ音源は使われず、伊福部曲についてはオリジナル音源をそのまま使用することになった。その判断には賛否両論わかれるところだが、筆者としては、やはりあれだけの情報量が詰められた映画の中でモノラルのレトロな音質の音楽が使われるというのは、(オマージュ的な意味合いでは正しいかもしれないが)音響的な意味での一つの瑕疵となってしまったような気がしてならない。
サントラでは、9曲目の「ゴジラ登場「メカゴジラの逆襲」 / 脅威」で、両方の音源を聴き比べられるようになっている。「音楽的に一言一句たりとも決して変えない」まま原曲をアップデートした鷺巣の手腕と苦心を考えると、正直、こちらを使用してほしかったという気持ちはある。
出典:Real Sound
エンドロールでは『ゴジラ』『三大怪獣・地球最大の決戦』『怪獣大戦争』『ゴジラVSメカゴジラ』の音楽が流される。唯一平成シリーズからの引用となった『ゴジラVSメカゴジラ』は実験的にドルビーデジタル5.1chサラウンドフォーマットが使用された映画だ。エンドロールのラストを飾る「メインタイトル「ゴジラVSメカゴジラ」 / 終曲その4」は他の伊福部楽曲と比べると明らかに重厚に聴こえる。
鷺巣詩郎と伊福部昭に見いだせる共通点もおもしろい。鷺巣詩郎の父、うしおそうじ(鷺巣富雄)は1939年18歳で東宝に入社、特殊技術課課長であった円谷英二の元で特殊撮影技術を担当した人物。東宝を離れ、漫画家に転身、映像制作会社ピー・プロダクションの創業をしたあとも円谷英二との交流は続いた。鷺巣は幼少のころから、父と共に円谷スタジオ、東宝スタジオにも出入りしていたという。父に連れられてあらゆる映画を観たという鷺巣は、そのほとんどが伊福部昭だと知った。
7〜8歳の頃、たぶん『無法松の一生』を観た後だったと思うが「いふくべあきらって、どういう人?」と、父に尋ねたのを良く覚えている。
出典:『シン・ゴジラ 音楽集』ライナーノーツ
上記で引用したエントリ『音楽から読み解く「シン・ゴジラ」の凄み』には、鷺巣詩郎の音楽は「①3つ(ないしはそれ以上)の音が順番に下行する音型」「②狭い音域を下がったり上がったりする音型」において伊福部昭と共通点があるとしている。鷺巣本人は無意識であると述べているが、こうして表現が受け継がれているのはおもしろい。
誰もが語りたくなる『シン・ゴジラ』。音楽にフォーカスし、引用を含みながらまとめたが、こうして語ったり書いたりするとまた観たくなるの不思議な魅力がある。音楽を劇場で堪能したい方は、立川の極上爆音上映がオススメだ。
なお、9月28日より、レコチョク特設サイトでハイレゾ(48kHz/24bit)配信限定アルバム『シン・ゴジラ劇伴音楽集』の先行配信を開始している。ミキシング、マスタリング、フォーマットは発売中の『シン・ゴジラ 音楽集』とは異なるとのこと。レコチョク先行配信期間内の購入者には、鷺巣詩郎による「シン・ゴジラ劇伴音楽集」解説ブックレットをプレゼントされる。
『シン・ゴジラ 音楽集』は出勤時の絶望からプレゼンテーションの特攻、希望の帰宅まで一日を彩るナイスな一枚になっているのでぜひ聴いてみてほしい。
また、LINE LIVEのLIVE 映画・テレビチャンネルで放送予定の「劇伴音楽集配信記念!音楽家から見た“シン・ゴジラ”Vol.1」もぜひご覧いただきたい。小袋成彬(Tokyo Recordings)、タカハシヒョウリ(オワリカラ)、中村遼がゲスト出演し、ライター宇野維正が司会を務める。放送は10月5日(水)22:00〜。
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