前回頑張って考えてみた結果、やはり「ソーシャルメディア」「SNS」を明確に定義付けすることは難しい、ってか無理じゃねって結論に達したのでした。

しかし、そのまま形ない漠然としたものとして捉えることは、扱う上で危険です。マーケティングに利用するにしても、個人で利用するにしても、自分が関わっているものが何であるか、ちゃんと知っておきたいのです。

「ソーシャルメディア」で捉えようとするからダメなんですね。じゃあ「ソーシャル(social)」と「メディア(media)」に分けて考えてみましょう。

ソーシャルって何

一般的に、「ソーシャル(social)」という言葉は「社会の、社会生活を営む、社会的な、社交の」と訳されます。これは形容詞であり、名詞だと「懇親会、親睦会」という訳もあります。

では、「社会」「社交」って何でしょうか。これらは「society」という単語に当てはめられます。名詞です。「society」という単語が「社會」「社会」と訳されたのは明治時代。福地源一郎や福沢諭吉といった先人たちが訳したそうです。しかし、彼らもその単語の意味に手を焼き、「交際、人間交際、交わり、仲間、連中、社中」という風に解釈は様々あったようです。

ここでWikipedia先生に聞いてみましょう。先生によれば

A society, or a human society, is a group of people related to each other through persistent relations, or a large social grouping sharing the same geographical or virtual territory, subject to the same political authority and dominant cultural expectations.

なるほど。もう一つ、日本版Wikipediaから。

社会は広範かつ複雑な現象であるが、継続的な意思疎通と相互行為が行われ、かつそれらがある程度の度合いで秩序化、組織化された、ある一定の人間の集合があれば、それは社会であると考えることができる。社会を構成する人口の規模に注目した場合には国際社会や国民国家を想定する全体社会や都市や組織などの部分社会に区分できる。さらに意思疎通や相互作用、秩序性や限定性という社会の条件に欠落があれば全てを満たす社会と区別して準社会と呼ぶことができる。
人間は誕生してから死去するまで社会の構成員の一人であり、また社会の行為者でもある。都市または農村において育ち、家庭や学校などでさまざまな教育を受けながら成長する。この過程で社会に存在している規範や法、宗教や芸術などの文化に触れ、そして家族外の人間関係を拡大していく。これは人間の自我の確立と同時に社会化の過程でもある。
成熟してからは自営業で、または政府機関や企業や軍隊に入り、労働を通じて報酬を得て生活する。これは国民社会、地域社会、家族などの多重的な社会関係を構築する人間の組織化であり、また分業化された社会における協働という社会交換の過程である。このように人間は、社会を形成すると同時に形成され、社会に働きかけながら社会から働きかけられながら活動している。
社会は人口集団、都市形態、経済発展、政治体制、宗教などによって多様性を観察することが可能であり、時代や地域によってさまざまな社会の形態を見ることができる。

もう英語は英語で捉えたら良いですわ。ここでWikipediaもってくるあたりがダメですね、私。
で、これらをまとめてみると、「何かしら共通するものを持ち、相互に関わった結果、生まれたグループ」ということでしょうか。「何かしら共通するもの」というのは文化や政治、地理的な条件でしょう。でもキリがないですね、地球に住んでいる人間なら社会じゃん?って。広義でそうでしょうね。でもそこに相互的な関わりはあるのでしょうか。例えば、中国で水揚げされたカニを日本が輸入して食卓にならぶ、日本は中国にコメを輸出する、とする。この中国(人)と日本(人)の関わりは社会っぽいですね。このように、何かしら具体的な関係性を提示することができれば良いのではないでしょうか。しらんけど。

では社会は1対1でも成り立つのだろうか。1対 n あるいは、n対 nはグループとして認識できる。1対1はグループではないし、1対1でのやりとりは非常に閉鎖的で他社には理解できないコンテクストが含まれるだろう。これを社会と言って良いのだろうか。わっかりませんわ。

とりあえず「社会」は何かしらの繋がりによって結果的に生まれるものなのですね。ちなみに、何かしらの繋がりが「血縁・地縁・空気」であった場合、恐らく日本ではそれを「世間」と表現します。「社会」との違いは「主体性の有無」がカギになりそうです。「社会」は自分が入ることも抜け出すことも作り上げることもできる。でも「世間」はそうではない。「世間」には村社会に代表されるような見えない繋がりと、排他性があるのです。

(余談ですが、村社会の排他性は、ソーシャルメディア上でも見ることができます。原発の賛否や、TPPといった政治的なテーマが多い気がします。彼は感情論で身を固め、論理の欠片もないのです。異なる意見を持つものは排除されます。

参考:ソーシャルメディアの過渡期/メディアにどう向えばいいのか

「社会(society)」ついてはこんな感じでとりあえず良いでしょうか。なので「ソーシャル(social)」は「社会」的なもの、「社会」化するものですね。

あとはJ.H.ミードとかM.ヴェーバーとかデュルケームに聞いてみたら良いですね。

メディアとは

次にメディアとは何でしょうか。広義には記号の表現、メッセージを伝達するモノがメディアであると言えます。例えば、何でも良いのですが、The BeatlesのバンドTシャツを着た人がいたとしましょう。その人を見た時に「あ、この人はThe Beatlesが好きなんだな」と思うはずです。バンドTシャツ(モノ)は、僕はThe Beatlesが好きです(メッセージ)を伝えるのでメディアです。

このように考えると身の回りのものはほとんどメディアみたいなものですね。しかーし、それではどうしようもないので、一般的には限定的な意味で使われています。

The BeatlesのバンドTシャツはあくまでも衣服であって、「僕はThe Beatlesが好き」というメッセージを伝えるためのものではないですね。(もちろんそのような側面もあるのだが)。マフラーをするのを寒さを和らげるためであって、周りの人に寒さを伝えるのは第一の目的ではないですよね。

メディアとは、メッセージやテクストの生産、伝達を本来の目的をした道具、機械、組織、生産物を指します。例えば、新聞、放送、新聞社、紙面、番組、PC、ケータイ、ブログ、Facebook…などです。

上記の例を見ると、メディアは単なるモノではなく、記号性を不可欠としていることが分かる。その記号性を実現するのが、メッセージであり、テクストです。記号とは、サイン、画像、動画、言葉の総称です。記号の最も代表的なものがが言語です。言語を使用するというコミュニケーション活動によって、人間は人間として区別されていると言っても良いのではないでしょうか。

でがコミュニケーションとはなんでしょう。コミュニケーションとは、社会的な存在である我々が何かを伝えることにより、誰かと”共通のもの”を確立するように努めること。です。すなわちコミュニケーションとは他社と自己が情報や思想や態度を共有しようとする営みを意味するとW.シュラムは説明しています。

コミュニケーションそのものは人間に限らず、動物、昆虫、など自然界にも存在します。コミュニケーションは送り手と受け手が存在することで成立します。人間の場合、送り手は伝えたい内容を記号化しメッセージとして発信します。受け手はそのメッセージの解釈をし、反応をします。この受け手の反応を「フィードバック」と言います。「フィードバック」によって、送り手は、自分の意図するメッセージが伝わったかどうかを確認するのです。

(ソーシャルメディアはオープンに可視化された素早いフィードバックを送れるのが大きな特徴でしょう。)

コミュニケーションについてはコミュニケーション学を学ぶのが良いでしょう。L.D.ラスウェルとかP. ラザースフェルドとか。

しかし、一応社会学を大学に学んだのですが、このエントリーを書いていて勉強不足が露呈しております。広告やメディアに関わる人間として、これはマズイですね。

…‥‥‥とこういう感じで良いですかね。マクルーハンがメディア論で述べたように、今日の我々はメディアを利用することで身体を拡張しています。ソーシャルメディアにおいては、他社の生活を疑似体験することも可能ですし、YouTubeでライブの生中継を見ることもできますよね。

で、ソーシャルメディアとは

手元に津田大介氏の「動員の革命」があったので見てみました。

ここで、ソーシャルメディアという用語について確認をしましょう。

ソーシャルメディアというのは、ユーザーとユーザーがつながって、双方向に情報を提供したり、編集したりするネット上のサービスのことをいいます。

と書いています。とりあえずネット上のサービスであることは間違いないのですね。

似た意味のもので、CGM(Consumer Generated Media)やUGC(User Generated Contents)という言葉があります。CGM(消費者生成型メディア)というのは、まぁその名の通りなのですが、消費者によって作られるメディアです。UGC(ユーザー生成型コンテンツ)とは、これもその名の通り、ユーザーが作った全てのコンテンツを指します。

ということは、FacebookやTwitterでの投稿はUGCですね。そして、投稿できるプラットフォーム、FacebookやTwitterそのものがCGMです。

池田紀行氏は「フェイスブックインパクト」の中で、

CGMとソーシャルメディアの違いについては、あまり語られることはない。従来CGMと読んでいたもの全てソーシャルメディアと呼ばれているのが現状だ。しかし、CGMとソーシャルメディアには明確な違いがある。それが、ソーシャルグラフだ。

ソーシャルメディアには以下の2つの特徴がある。

①ソーシャルグラフの形成・反映がサポートされていること

②誰がその情報を発信したのかが明確であること

と述べているのですが、僕としてはこれはSNSの特徴であるように思えます。ソーシャルグラフの形成はそもそも、誰がその情報を発信したのが明確じゃないと作られません。わかりっこないのです。

僕の解釈では、

「ソーシャル」が何かしら共通するものを持ち、相互に関わった結果、生まれたグループなので、ソーシャルメディア」とは何かしら共通するものを持った人間が、相互に関われるインターネットに通じたウェブサービス、アプリケーション。です。別に情報の発信者は誰でも良いのです。なので2ちゃんねるも増田もソーシャルメディアなんです。そういうことにしましょう。ファイナルアンサーです。そういうことにしておこうね。

あるいは、何かしら共通するものを持つために、相互に関われる空間。共有するものは後付けでも良いのだ。

その中でSNSは、個人が特定でき、相互コミュニケーションを推奨する理念や機能を揃えているもの。これでオッケーじゃん?個人が特定できるというのは、匿名だろうが実名だろうが、アカウントを所持し、プロフィールがあるということだ。そして日記を書いたり、写真をアップしたり、いいね!を推したり、コミュニケーションを推奨する機能を揃えている。

ソーシャルグラフって

何。ソーシャルグラフという単語が出てきました。これはソーシャルメディア上の人間関係を意味します

これはさらに分類できます。

バーチャルグラフという言葉あります。そのまんまネット上だけのバーチャルな人間関係です。例えば、話したこともないのにネット上で友人になったとか、ゲーム上のつながりとか、趣味のつながり(インタレストグラフ)とか。

これらは実際にリアルでその人と関係することで、バーチャルグラフからリアルグラフへと移行します。リアルグラフとは現実の人間関係をネット上に落とし込んだもの。SNSとは本来リアルグラフのネットサービスであったように思います。同じ学校の友人とつながる、とか。FriendsterやFacebookはそうでした。mixiもそんな感じでした。

しかし、このように分類したところで、大した意味はありません。例えばmixiやFacebookはリアルグラフが中心だと言われています。でも僕のFacebookには知らない人もいます。会ったこともないのにFacebook上で友人になっている。これは結構気持ち悪いけどね。Twitterでは友人をフォローしてますし、共通の趣味をもつ人をフォローしています。リアルグラフだしバーチャルグラフなインタレストグラフです。

つまり各メディアの特色はあるけど、使い方なんて人それぞれなんですね。

それ言っちゃ終わりか。

結論

これでだいたい良いね。自分なかで解決したよ。勝手に。

それちげぇよとかアホかみたいなのはFacebookでメッセージくださいね。

長々と読んでいただきありがとうございました。

ということでマーケターは各メディアでユーザーがどんなソーシャルグラフをもっているか、よりも各メディアの特徴(クローズド、セミオープン、オープン、API)を活かしてプロモーションかけたほうが良いのではないかね。

一番重要なのは結局人間はリアルで生きているということだね。Webの中で完結しないでリアルどう人を動かすか。

企業のソーシャルメディア利用のゴールがエンゲージメントとか、Web内で完結するものよりも、実際にリアルで関われる導線を設置し、顧客との関係をバーチャルで終わらせない、そういうことをやっていきたいですわ。業種によりますけどね。

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