高野修平 著『音楽の明日を鳴らす~ソーシャルメディアが灯す音楽ビジネスマーケティング新時代~』

今回は生意気ながら書評を書かせて頂きます。

音楽の明日を鳴らす

a day on the planet(現THE GREAT ESCAPE)という著者のブログをすでに知っている人も多いだろう。書籍「音楽の明日を鳴らす~ソーシャルメディアが灯す音楽ビジネスマーケティング新時代~」はブログの内容をさらに詳細に、そして分かりやすく再構築した作りになっている。音楽に関わる人間でなくても、ソーシャルメディアマーケティングの入門書として、気軽に読み進めることができるだろう。音楽ビジネスにフォーカスした内容ではあるが、これは全てのビジネスに応用することが可能だ。後はあなたの引き出し次第で面白いアイデアが生まれるはずだ。

だが、この書籍を一番読んでもらいたいのは、アーティスト自身である音楽で食っていきたいのなら音楽制作だけをしていれば良い時代ではない

よきミュージシャンであることを大前提に、よきマーケターであり、プロモーターであり、マネージャーである必要もあるのだ。音楽制作以外の部分を信頼出来るマネージャーやマーケターに任せることができれば、アーティストは音楽制作に集中することができるが、最初からそうもいかないだろう。またパートナーを見つけて任せるにしても、知識があるのとないのではだいぶ違う。いずれにせよこれはビジネスの話だ。音楽で食っていく覚悟があるのなら、音楽だけを作っていてはいけない。ビジネスもしよう(商業音楽と娯楽音楽を明確に分けておこう)。無知は自分の首を締める。

書籍の内容に話を戻す。

第1章は音楽ビジネスの今までを振り返り、これからを予測する内容となっている。音楽ソフトの売上減やNapster、ライブ・コンサートの成長、アーティストによる新しい試みは既に皆の知るところだろう。もちろん、ライブ・コンサートがこれからも伸びていくかどうか分からないが、書籍を読み進めることで、頭打ちにさせないヒントを得られるだろう。

また、著者がブログの初エントリで「音楽は無料だった」という主張をしていることを頭に入れておきたい。音楽が産業になった時点で、リスナーもアーティストも楽しみの幅は広がったが、同時に縛られるようにもなった。しかし、そのように窮屈になっていくことで、新しい試みが生まれ、心を揺さぶる音楽が生まれる。

ここで音楽ビジネスの歴史を少し遡ってみたい。

18世紀から19世紀、音楽家は貴族から支援してもらうことで生計を立てていた。パトロンだ(今クラウドファンディングが盛り上がっているのは興味深い)。貴族は音楽家を支援し、演奏させ、また音楽を教えてもらっていた。このころ音楽は宮廷や貴族の嗜みだった。

庶民が音楽に触れるようになったのは、もう少し後。コンサートというビジネスが生まれてからだ。音楽家はコンサートと音楽を教えることで生活していた。このあたりからパトロンの存在は希薄化する(それがKickstarterやフリクルという形で復活している)。

さらに20世紀。録音媒体と放送媒体が登場する。こうして今の音楽ビジネスの原型が形作られた(間違いあったら訂正してね)。

2013年1月16日追記。コメントありがとうございます。ご指摘いただいたので転載いたします

音楽が貴族などのパトロンの元にだけ存在し、庶民が音楽に触れるのはもう少し後というのは一面的。学校の西洋音楽史で語られる作曲家演奏家は王侯貴族の庇護の下にあったのは事実ですが、大衆にもワークソングや民謡などが存在したし、大道芸やお祭りの出し物としてエンターテイメントとしての音楽家も存在していました。例えば、ヨーロッパで言えばジプシー、日本でも瞽女など。もうひとつのパトロンとして教会や寺院など宗教の存在があって、それがある種の宗教プロパガンダとして機能していました。キリスト教の聖歌・讃美歌、仏教の声明(しょうみょう)、神道の神楽とかですね。

著者の「音楽は無料だった」という主張に、僕が付け加えたいのは「元々ライブだった」ということだ。レコードとはそもそもライブ演奏を録音するものであった。ライブ>レコードだったものが、今はレコード(CD)>ライブとなっている。CDを売るためにライブをしている。ライブがプロモーション手段になっているのだ。著者はブログで以下のように述べている。

そういった中で、無料の音楽が有料の音楽に変わるとき、
そこに生で感じる、聴く。そして、人とつながり、共鳴し合い、連鎖していくことが
音楽産業の未来を占っていると思ったり。

ただ、生でやるということにおいてのアーティスト側の問題というのが出てくるのも事実。
逆に生で聴かせたことにより、失望させる可能性もはらんでいる。

生で聴いて失望するならその程度なのだ。それは仕方がないと僕は思う(この点で初音ミクに対しては何とも言えない不思議な感覚がしている)。

ライブの立ち位置を改める必要があると僕は思う。もっと前に出てきて良い。ある意味でAKB的な売り方はライブ>レコードに当てはまっているとも言える。握手会はライブ(生)だし、コンサートも行う。その為にファンはCDを買う。ゲスだ。資源の無駄でしかない。でもこのビジネスモデルから学ぶものは多いのではないだろうか。もうCDはファングッズとして割り切ったら良い。

日本ではまだまだCDが売れる、だが世界的な脱CDの流れにいずれ巻き込まれる(日本で売れていると言っても売れているCDはご存知のとおりだ)。まだCDで音楽を売ることをメインに考えているのはアホだ。違法ダウンロード刑事罰化でCDが売れると思っているなら、そんなことはないと思うが、日本の音楽産業は衰退の一途をたどるだろう。そもそも違法ダウンロードする人はCD買わないからね。

脱線してしまった。

第2章はソーシャルメディア概論。ここ、マーケターもアーティストも穴が空くほど読んでほしい。そこの胡散くさいコンサルもだ。合わせて「フェイスブックインパクト つながりが変える企業戦略」も読むべきだ。んでもって社会学も学んでこい。ここに多くは書かない、このブログでも繰り返し主張してきたことだからだ。「ソーシャルメディアとは何か」ここをハッキリさせるべきだ。
ちなみ著者の主張、っていうかトライバルメディアハウスのソーシャルメディアの定義は僕の中のものとやや違いがある。僕の主張は以前のエントリ「ソーシャルメディアってなんなんすかね その2:を読んで欲しい。それは良いとして、繰り返すが、「ソーシャルメディアとは何か」をはっきりさせておこう。そして利用するなら使用するべきだ。深く深く、そのメディアの住民として使っていこう。

個人的には「ソーシャルメディアとは何か」の前に「ソーシャル(社会)とは何か」「メディアとは何か」という根本的な部分から考えてみて欲しい。ソーシャルメディアの背景を知らずしてソーシャルメディアを使うと必ずブレる。軸がないからだ。

第3章から第5章は【共有】【共感】【共鳴】について。この3つのサイクルを上手く、そして途切れずに回すことが今後の音楽ビジネスの鍵を握る。そしてこれは音楽ビジネスをする側、アーティスト・レーベル・オーガナイザー・小売にも言えることだと思う。あなたたちは共感して仕事できてんの?やってて楽しくないものを届けられるとこっちも楽しくないんだぜ。

【共有】【共感】【共鳴】については著者のブログでも繰り返し述べられている。そちらを読んでから本書を手に取ると飲み込みやすいだろう。

個人的には「リアルをソーシャルメディアに拡張する」という部分が大変気になるところだ。というのも挫折しながらもライブにフォーカスした音楽サービスを作っているためだ。如何にライブ感を出すか、ライブ感とは何か。今のところとてもシンプルなデザインと理念に落ち着いている。ライブ感とは恐らく、「未完成であり、参加することで自分の中で完成する」ものだと思う。僕らが挑んでいるのは、著者の表現を借りるなら、クワトログラフの構築であり、音楽体験の総合プラットフォームだ。リリースが遅れても良い物を届けたい。それもライブ感だ。当面はライブの口コミにフォーカスする。がっつりライブレポからTwitterのような簡単な投稿までウェルカムだ。ちなみに英語でやります、たぶん。

余談だが、ネイティブの人曰く、

コンサートはでかい会場(ホール、武道館などなど)、ライブはライブハウス、gigはバンド側がライブをすることをgigと言います。「ライブに行きたい?」と誘うときは “want to go to a concert?” 「ライブ」って普通に英語で言っても通じないときが多い。なので「ライブ」じゃなくて「コンサート」が一番!(ライブハウスって単語も英語にはないので concert venueとか言ったほうが通じます。)

らしい。

日常の国にする

日本という国で、音楽を日常にすること。僕も全く同じ思いである。最近この話をnanaのCEO文原明臣さんとした。高野さんもnanaもフリクルも僕らも、っていうか音楽好きは皆、同じ思いがあると思う。

恐らく、僕らとしては非常に残念なことに日本においては文化レベルから構築しないと無理だ。

とある人が「日本の音楽が世界に出て行かないのはルーツがないからだ」と言っていた。僕は偉く納得してしまった。 真似事の真似事でしかなく、音楽的背景も文化的背景もそこには存在していないのだ。薄っぺらい音。その時、その瞬間だけ共感され、消費される。日本の音楽の歴史を遡ってみよう。僕の仮説を含んでいて事実ではないかもしれないが、読んで欲しい。

楽器は大陸から伝わった。平安時代、音楽は雅楽だった。それは貴族の遊びであり庶民の交わるところにはなかった。それがずっと続いてきた。室町時代には北山文化・東山文化に代表されるように今日に続く伝統文化が生まれる。その中で音楽に関わるものは能と狂言。でも音楽はBGMでしかない。また、元々日本では音楽は儀式的な要素が強いように思う。「祭」だ(例えば盆踊りは仏教行事だ)。日常ではなかったのだ。「ハレ」の部分でしか登場せず、庶民が日常的に歌い、踊ることはなかったのではないだろうか(でもたまに「ええじゃないか」のようなムーブメント?も起きる)。それは戦後まで続く。戦後、アメリカナイズは音楽も例外ではない。しかし、上辺だけ取り入れ、そこにルーツはなかったのでないだろうか。当たり前だ、背景を体験していない人間にわかりっこない。海外で発明された自動車や電気機器を精密化し、今度は世界に発信する。そんなことは音楽では起きなかった。日本の伝統文化も当時のまま変わらない。ずっと同じだ。当時を再現しているだけだ。伝統文化をルーツとした新しい文化なんてないじゃないか。何なんだ日本。

っていうか、だから何なんだろう。

そんなことはもうどうでも良い。僕らは音楽を聞くし、生の体験を大切にしている。それに十分楽しい。でも僕らは頭に入れておかなきゃならない、人は音楽なしでも生活できる。音楽は必須ではない。

「No Music No Life」何いってんだアホか。死ぬんだなお前。ホントに死ぬんだな。

死にはしない。生活もできる。ただしとても退屈だ。想像してみて欲しい。最悪だ。だから僕たちはみんなに音楽の楽しさをもっともっと伝えていかなければならない。みんなが「音楽がなくないと死にたくなる」くらいに。

今、音楽ビジネスは1つの分岐点に立っている。このままではいけない。むしろ音楽業界は一度潰れても良いくらいだ。産業として潰れても、音楽はなくならないし、ライブもなくならない。

違法ダウンロード刑罰化、クラブの閉鎖、サブスクリプションサービスの登場など、大きな変化の中にいる。音楽好きな僕らに何ができるのか。「音楽の明日を鳴らす~ソーシャルメディアが灯す音楽ビジネスマーケティング新時代~」にはそのヒントがたくさんある。変化の中にいるということはチャンスでもあるのだ。

最後に

著者の今後にとても期待している。そして是非協力させていただきたい。

(欲を言うならば、もっと爆発して書いてほしい。企業人として、大人としての立場を無視して一度書いてもらいたい。あ、そうだ、クリエティブ・コモンズにしても良かったね。)

今回紹介させていただいた書籍「音楽の明日を鳴らす~ソーシャルメディアが灯す音楽ビジネスマーケティング新時代~」によってだいぶ思考が整理されました。ありがとうございます。全然書評になっとらんし。

僕は、音楽業界的なものを完全に別のレイヤーで作っていきます。自分が楽しいと思うものを届けていきます。みんなどうすんの。

音楽の明日を鳴らす~ソーシャルメディアが灯す音楽ビジネスマーケティング新時代~

音楽の明日を鳴らす~ソーシャルメディアが灯す音楽ビジネスマーケティング新時代~

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高野修平
エムオン・エンタテインメント

 


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